カテゴリ
全体 アレクセイ・アイギ情報(Rus) セルゲイ・レートフ メロディヤ盤探訪 ピアノ・トリオ (Rus) 管入りコンボ (Rus) クルグロフ(Rus) ガイヴォロンスキー(Rus) スドニック(Rus) バタゴフ(Rus) ヴォーカル物(Rus) Post Kuryokhin Std. ブートマン ソ連ジャズ史関連 ロシアから移住 カフカース出身者 宝示戸&モツクーナス ブルガリア関係 ウラジーミル・レジツキー チェコ関係 ルーマニア関係 ハンガリー関係 ブリリアント ポーランド関係 旧ユーゴスラヴィア 黒い袋をさげる人々の四季 イベント告知 ウクライナのジャズ なんとなく Book / 本 ツアー日誌/添乗員T セルゲイ・クリョーヒン ミーシャ・アルペリン ライヴ報 はじめに Jazz Brat(マガジン)抄録 リトアニアからの風 アレクセイ・クルグロフ 未分類 以前の記事
2023年 09月 2023年 03月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 04月 2020年 02月 2019年 11月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 04月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 04月 2017年 12月 2017年 10月 2017年 07月 2017年 05月 2017年 03月 2016年 12月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 04月 2014年 12月 2014年 08月 2014年 05月 2014年 04月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 04月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2023年3月公開研究会「ポスト・クリョーヒン・スタディーズ」*報告抄録 イスラエル・ジャズ界と旧ソ連/ロシアの関係 -「地中海ジャズの歴史と音盤浴案内」出版記念- 岡島豊樹 (*9月23日に秋の会開催予定:文末に案内掲載) ●イスラエルのジャズに対するわが国の注目 わが国では十年近く前からイスラエルのジャズ・ミュージシャンの話題が目立つようになっています。いまやネットに沢山記事が上がっています。卑近ですが拙者も「地中海ジャズの歴史と音盤浴案内」(カンパニー社より2023年1月on sale http://companysha.com/medjazz )でイスラルのジャズに結構ページを費やしました。ネットの紹介記事を1990年代以降、とても多くの優れたミュージシャンを輩出した国であることがよくわかります。目立っている名前をあげるとこんな感じです。 アヴィシャイ・コーエン(ベース奏者, 1970) オメル・アヴィタル(ベース奏者, 1971) アヴィシャイ・コーエン(トランペット奏者, 1978) ダニエル・ザミール(サックス奏者, 1980) オムリ・モール(ピアノ奏者, 1983) ギラッド・ヘクセルマン(ギター奏者,1983) オデッド・ツール(サックス奏者, 1984) シャイ・マエストロ(ピアノ奏者, 1987) アリエル・バルト(ハーモニカ奏者, 1998) ウェブ記事を合わせるると、イスラエルにおけるジャズ史は案外長いようなこともうかがわれます。ただ、詳しい記述となるとあまり見つからないのです。興隆の要因や背景について掘り下げたい人は、分厚い本ですが、米国のマイク・ガーバー(Mike Gerber)著「Jazz Jews」をおすすめします(Five Leaves Publications, 2009)。イスラエルに一項目割いている他、ソ連/ロシア、東欧のミュージシャンを取り上げたページもあります。 ●歴史的にソ連(ロシア、ウクライナ他)から大勢イスラエルへ移住した 当ポスト・クリョーヒン・スタディーズにご参加いただいた皆様にはすでに常識と思いますが、ソ連時代にたくさんの人たちが外国に移住しました。米国へ移住した著名人の例では、70年代に、ヴラド・セルマカシェフ(tenor sax)、ヴァレーリー・ポノマリョーフ(trumpet)、ヴィディム・ヴャードロ(tenor sax)、1985年にアレクセイ・ズーボフ(tenor sax)が出国しました。イスラエルへ移住した著名人では、ロマン・クンスマン(alto sax, flute)とヴャチェスラフ・ガネーリン(piano他多数)がいます。クンスマンはイスラエルへ1970年に移住しましたが1976年に米国へ移りました。ガネーリンは1987年移住して以来現在もイスラエル在住です。1991年いっぱいでソ連が解体し、その後旧ソ連諸国からイスラエルへの大移動があったとき、行先の多くはやはり米国とイスラエルでした。 そうした移住者のお子さんやお孫さんが、今、実力のあるミュージシャンになっていれば名前が出ていそうなものですが、そういう話題はなかなかみつけられません。 イスラエルでプロの音楽家として生計を立てることはなかなか難しいという話を聞きます。イスラエルのジャズ・ミュージシャンにとって生活状況を質問されるのは苦痛以外のなにものでもないという返事をもらったことを、さきほどの「Jazz Jews」のマイク・ガーバーも綴っています。国土は狭く、周辺国との軋轢がありますので、いろいろな面で暮らしにくいのでしょう。それでも、ジャズを含めて音楽教育に熱心なイスラエルですので、若いジャズ・ミュージシャンが続々と芽を出し開花してきました。そして国外で演奏する機会を掴むコネクションもあるのでしょう。 ●ロシアのレーベルRainy Days Recordsの移転 最近のジャズ関連の移住例では、サンクトペテルブルクで営業していたジャズ・レーベルRainy Days Recordsの創業者エウゲニー・ペトルシャンスキー(Evgenii Petrushanskii)氏がイスラエルのテルアヴィヴに拠点を移したということです。 Rainy Days Recordsは若手のジャズ・ミュージシャンのストレートアヘッドなアプローチを主としたジャズが多い印象のレーベルです。レーベルの顔といえるミュージシャン(ドラマー)のサーシャ・マシン(Sasha Mashin, drum)は現在イタリア在住です。 創業社長のペトルシャンスキー氏はプロのドキュメンタリー写真家でありヴィデオ作家他でもあります。https://www.grossomodo.art/evgeniipetrushanski 「ロシアの最大の才能がプーチンの抑圧からの自由を求めてイスラエルに逃げる」というキャッチの記事をnpr( an independent, nonprofit media organization )に見つけました。2022年11月19日付、エルサレム在住のDaniel Estrin著、です。 https://www.npr.org/2022/11/19/1135572325/russian-jewish-artists-exile-israel-russia-ukraine-war ここにペトルシャンスキー氏の胸の内だけでなく、ウクライナ侵攻開始後のロシアからイスラエルへの移住状況も述べられています。 かいつまんで紹介しますと、イスラエル政府の統計によると、ウクライナ侵攻が始まって以来、28,000人以上のロシア人がイスラエルの市民権を取得したそうです。その中には、ポップスのスーパースターや一流のフォトジャーナリストをはじめ、アート、演劇、映画、音楽、ダンスなどの分野で活躍するクリエイターが多く含まれているとのこと。 日本の「週刊エコノミスト」誌(毎日新聞)が昨年、その幾例かを素早く報じました。Onlineでも読めます。 戦争とロシア芸術 https://weekly-economist.mainichi.jp/戦争とロシア芸術/ ロシアの闘う現代アーティスト https://weekly-economist.mainichi.jp/ロシアの闘う現代アーティスト/ ペトルシャンスキー氏は、父親のユダヤ人のルーツに基づきイスラエル国籍を申請したとのことです。「ロシアでレコードをリリースすることは不可能なので、外国の聴衆に渡ります 」とペトルシャンスキーは語っています。「Apple MusicやSpotifyのようなプラットフォームに向けて音楽をリリースする音楽アグリゲーターの大部分は機能していない。彼らはもうロシアで活動していないのです」ということです。現在、Rainy DaysはTel Avivのヤッファに拠点を置いて積極的にbandcampで配信、販売していることを確認できます。https://rainydaysrecords.com 今後このレーベルがイスラエルのミュージシャンと提携するか予想がつきませんが、歴史的にみて、提携したとしてもまったく違和感はないだろうと思います。 【本題】 このあと、イスラエル史、ソ連史、ロシア史と移民史、ジャズ・ミュージシャン移住史を絡ませて少し報告したいと思っています。いくつか音源も紹介したいのですが、許された時間に限りがありますので、リンクを挙げておきますから閉会後じっくり聴いていただければと思います。 ●モーシェ・ウィレンスキやサーシャ・アルゴフ移住の頃 イスラエルの建国は1948年です。その前、今のイスラエルとパレスチナを含む細長い地域はオスマン帝国領で、主にアラブ人(パレスチナ人)が住んでいました。 第一次世界大戦後、1922年国際連盟による承諾によってイギリスの直接統治が承認されました。イギリス植民地相のチャーチルは、制限付きながらユダヤ人のパレスチナへの移民枠の拡大を目論んでいたということです。 1930年代になり、ナチ党の権力掌握でヨーロッパからの大量のユダヤ人流入が起こり、アラブ人との間で土地を巡る対立が深まり、1936年から1939年にかけてはパレスチナのアラブ反乱が起きています。アラブ人指導部はイギリス政府にユダヤ人移民の制限やユダヤ人への土地売却禁止を求めてパレスチナ全土でゼネストに入り、イギリス軍はその鎮圧に長期間を要しました。 そうしたイギリス統治時代、ジャズを熱心に演奏した人として、モーシェ・ウィレンスキ(Moshe Wilensky:piano)が知られています。この人物はソ連出身ではなく、1912年ワルシャワ生まれです。ロシア皇帝を元首とするポーランド立憲王国時代です。 モーシェは1932年にパレスチナに移住しました。作曲も作詞も得意でした。スラヴ音楽と中東系音楽が組み合わさっているのが、ウィレンスキーの特徴といわわれます。映画、演劇、ホラダンス、キャバレーソング、子供向けの曲他、生涯で約 1,500 曲を残しました。本人はどの程度ジャズを演奏したかについては、拙者は残念ながら把握できていません。 現代において、ジャズ・ヴァージョンとして演奏された例として、アヴィシャイ・コーエン(bass)と並び立つオメル・アヴィタル(bass)が、アヴィー・アヴィタル(mandolin)とのデュオで作ったアルバム「Avital Meets Avital」(2017)の終曲のバラードが」一例です。驚きもあります。オメルもアヴィーもロシア系ではないです。両人ともルーツにモロッコが含まれるということで気心が合うそうですが、この曲の演奏は、ルネサンス期以前の曲といいますか、中世のイベリア半島風と言いますか。 The Source and the Sea (Balada Al Maayan Ve`Yam): Avi Avital (mandolin), Omer Avital (bass) https://www.youtube.com/watch?v=VhN0566H0hA モーシェ・ウィレンスキ移住から2年後の1934年、サーシャ・アルゴフ(Sasha Argov: piano)が両親とともに到着しました。1914モスクワ生まれ(アレクサンドル・アブラモヴィチ)、1995年テルアヴィヴで亡くなりました。父は歯科医、母はコンサート・ピアニスト。3歳のときに母親と一緒にピアノの勉強を始め、6歳のときに耳で音楽を作曲し始めました。 アルゴフは自分の音楽で生計を立てることはなく、最初は銀行員として働き、後に書店を所有して運営したそうです。そうしながら生涯で約 1,200 曲も生み出したそうです。ポピュラーソングが多く、映画や演劇のための歌も少なくないようです。 ジョン・ゾーンのTzadikレーベルのGreat Jewish Musicシリーズ内のRadical Jewish Culture部門からアルゴフ集『Sasha Argov』(TZ 7173 : 2003年)が出ています。演奏しているのは米国在住のミュージシャンが多いようですが、当時イスラエルからNYへ音楽留学に来ていたダニエル・ザミール(1980年生まれ:alto sax, soprano sax)がトップバッターを務めています。彼はイスラエル生まれですが1997年からしばらくニューヨークに住み、またイスラエルに戻っています。 ザミールはライナーノーツも担当し、アルゴフの作風についてこう紹介しています。 「彼のルーツであるロシアを新しい環境で包み込んだその音楽は、時にアラブ的、ヨーロッパ的、スラヴ的、ロシア的、そしてアメリカ的にさえも聞こえるが、彼の音楽からは常にイスラエルという場所に住んでいる深い感覚を感じ取ることができるだろう。」 Lonely Lights(Pannas Boded);Daniel Zamir(saxes多重&vocal) [Tzadik「Sasha Argov」] サーシャ・アルゴフの影響を受けて育ったと自認しているのが、国民的な人気のあるシンガー=ソングライター、マッティ・カスピ(1949テルアヴィヴ生まれ)です。 https://matticaspi.co.il/en/יצירה-והסטוריה/ביוגרפיה/ アルゴフとカスピが組んだアルバムが2作あります。 ① Matti Caspi Sings Sasha Argov(CBS)1982 ② Matti Caspi, Sasha Argov – Mattiyahu and Alexander (CBS)1984 https://www.discogs.com/ja/release/5860860-מתי-כספי-סשה-ארגוב-מתתיהו-ואלכסנדר たとえば「子守唄」に耳を傾けてみてください。ちょっと気になるメロディです。日本のフォーク歌手の歌を思い出します。 Lullaby:Matti Caspi (vocal, piano, clavinet, bass, drums, guitar, arranging他) https://www.youtube.com/watch?v=s0Z3q7i5PJs&list=OLAK5uy_lPNj44F9cU6VCdc0xE07gjLUku4n2I-1o&index=4 二人の共演動画もユーチューブにあがっています。 https://www.youtube.com/watch?v=6PJn345o4_s 一方、カスピの作風は、ブラジル音楽、ラテン音楽、ジャズ、ロック、クラシック他のジャンルからも影響を受けていると説明されています。そんなカスピの曲を、現代イスラエルの若手ジャズ・ミュージシャンがレパートリーに入れている例があります。 例えば、ギラード・ヘクセルマン(guitar)やシャイ・マエストロ(piano)です。 My Second Childhood;Shai Maestro (piano). ECM https://www.youtube.com/watch?v=kPX0CGehhfk さっきのアヴィタル・コンビもカスピの曲をレパートリーに入れています。 https://www.youtube.com/watch?v=nt2tX_RWNuM さて、アルゴフ彼が移住した1934年は、ソ連におけるスターリンの大粛清期の始まりの年として知られます。ソ連ではこれ以降長らくユダヤ人にとって暗黒時代が続いたことがわかっています。 ●イスラエル建国後、ソ連からの移民史年表:1960年代まで 少し年表式に駆け足で歴史をたどります。 1948年、イスラエル建国。ソ連でジダーノフ批判(音楽や文学などに対するイデオロギー統制)。 1948〜49年、第一次中東戦争(イスラエルvsアラブ中東諸国:アラブ敗退)。 1953年、スターリン死去。文化指導者などの社会復帰。 1955年、ソ連がエジプトに武器支援。イスラエルとの関係悪化。 1956年、ソ連でスターリン批判。エジプトのスエズ運河国有化宣言がもとでイスラエルがエジプト侵攻(第二次中東戦争)したが、シナイ半島を失う。 1950年代半ば、ルーマニアから移住したモシェ・スロヴィッチ結成したオーケストラがホテル等でジャズを奏で始めました。これがジャズの温床となったようです。 1954年〜64年にかけてソ連でイスラエル移住のために発行されたヴィザは539件。1965年(ブレジネフ)は1,444件。1966年は1,892件。 1967年、第三次中東戦争(六日戦争:イスラエルのエジプト奇襲)でイスラエル勝利。これを契機としてソ連はイスラエルと国交断絶。国営マスメディアによる反ユダヤ主義的なプロパガンダキャンペーンで、ソ連のユダヤ人に対する民衆の差別が強まりました。 1968年、ソ連でイスラエル移住のために発行されたヴィザは231件。 1969年、3,033人に増加。それ以降ソ連は出国ビザの発給数を増やし始めた。 1960年代後半から1970年代にかけて約163,000人のソ連系ユダヤ人がイスラエル移住。その動機としては、宗教的・思想的願望、経済的な機会、反ユダヤ主義的差別からの脱出が主。 ●ロマン・クンスマン到着以降(1970年代) 1970年、独ソ条約の調印、西独と東欧諸国の国交正常化条約、協定の調印(デタントへの動き)。ソ連でイスラエルへの移民枠を増やし始める。1970年のソ連の人口調査ではユダヤ人の人口総数は55,000人。そのうちの30,000人以上が1980年までにイスラエルへ移住した。60年代後期のソ連で最も先鋭的なジャズを奏でていたロマン・クンスマンはここぞとばかりにイスラエルに移りました。 イスラエル生まれの音楽家でジャーナリストのギラッド・アツモン(サックス奏者)の次のような回顧談がDownbeatに載っていました。 「1970年代にロシア系ユダヤ人移民の津波がイスラエルに押し寄せた。偉大な数学者、医師、ミュージシャン、そして何人かの素晴らしいジャズ・アーティストもいた。そのうちの 1 人は、私のジャズのメンターであるボリス・ガメル(Boris Gammer)でした。ボリスは驚異的なテナーサックス奏者だった。彼は6回か7回のサックスのレッスンで私が知る必要のあるすべてを教えてくれた。ボリスにとって教えることは、ハイデガー(ドイツの哲学者)のように、他の人に学び方を教えることです。私は自分の問題に集中し、個人的なエクササイズを開発し、練習、練習、練習することを学びんだよ。数週間以内にギグを始め、その時点から私の音楽キャリアは自然に進化したんだ。」 https://downbeat.com/news/detail/qa-with-gilad-atzmon-jazz-traveler-shows-passion-for-politics ボリス・ガメルの演奏は、ユーチューブにいろいろ上がっています。ちなみに、ギラッド・アツモンは、1994年からロンドン在住。何かとユダヤ人を揶揄するような音楽や言動で注目されています。 また年表を続けます。 1972年、パレスチナ解放機構(PLO)の過激派組織「黒い九月」による事件が頻発。例: 5月ウィーン発のサベナ航空572便をハイジャック。イスラエル特殊部隊が突入し人質救出。 9月西ドイツのミュンヘンオリンピック選手村にいたイスラエル選手とコーチ計11名を殺害。 イスラエルの音楽家にとって当時も今も、海外公演ツアーは重要な演奏活動であり、大きな収入源です。クンスマンのグループPLATINAはしばしばヨーロッパで演奏していました。それが急速に冷え込んでいったのです。[イタリアのアレアが歌にしました] 1973年、第四次中東戦争。イスラエルの警戒が緩む贖罪の日(ヨムキプール)にエジプト奇襲。 ソ連から兵器供与を受けたシリア・エジプト両軍はゴラン高原、シナイ半島を一部占領した。イスラエルはソ連製新兵器に対応出来ず開戦3日で窮地に陥ったが、米国が大規模な介入を行いイスラエルは戦力を盛り返して反撃。上記占領地は全て奪還されて停戦。 1975年、フィンランドの首都ヘルシンキで、東西欧州と米加の35ヵ国の間で、安全保障、経済協力での合意などとセットで人権遵守に関する合意がなされた(「ヘルシンキ宣言」)。 1970年から1988年の間に全体で約291,000人のソ連系ユダヤ人が出国ビザを与えられたうち、165,000人はイスラエルへ、126,000人は米国へ移住した。 1979年、ソ連から51,000人が海外移住。かつて海外移住者のほぼ全員がイスラエルへ移住したが、1973年以降他の国へ移住する割合が増加し、特に米国への移住者が増えた。 米国を選んだユダヤ人は脱落者(dropouts)と呼ばれました。彼らはオーストリアやイタリアのトランジットセンターで待ちながら米国の難民ビザを申請しました。1975年時点で、ドロップアウト率は50%を超えていたそうです。ドロップアウト増加の原因としては、1973年のヨム・キプール戦争(第四次中東戦争:エジプトの奇襲)や、1974年米国議会で可決されたジャクソン=ヴァニック修正条項(自由移民と人権を制限する非市場国[共産国家]に対して最恵国待遇を与えないことで共産圏諸国に在住するユダヤ人の非共産圏への移住の制限への制裁とした法律)、さらにソ連系ユダヤ人の再定住のための追加資金の可決の影響が大きかったとみられています。 イスラエルは、国の経済発展に貢献してもらうだけでなく、イスラエル系アラブ人の高い出生率に対抗するためにも、高度な技術を持ち、教育水準の高いソ連系ユダヤ人の移民が必要であると考えていましたから焦りました。それで、ソ連移民をソ連やルーマニアから直接イスラエルに空輸する提案までしたくらいです。 ●80年代〜ソ連解体までの移住状況 1980年代以降の大きな出来事を挙げます。 1985年に書記長になったゴルバチョフがペレストロイカ、グラスノスチに取り組む。 1986年、ウクライナでチェルノブイリ原発事故。 1987年、第一次インティファーダ(パレスチナ人の民衆蜂起)。 ●ヴャチェスラフ・ガネーリン(piano他)到着 リトアニアのヴィリニュスを拠点に、アヴァンギャルド・ジャズを推進していたヴャチェスラフ・ガネーリンがイスラエルへ移住したのは、インティファーダが起こり不況に落ち込んだ1987年でした。生命のリスクも高まった時期です。 ちなみに、かつてセルゲイ・クリョーヒンの仲間だったイーゴリ・ブートマン(tenor sax:half Jewish)はこの年米国のバークリー音大へ(1997年帰還)。渡米前にブーマンが在籍していたグループのリーダー、ニコライ・レヴィノフスキーは1990年に渡米しました。 1989年、ゴルバチョフ書記長が移住制限の解除を決定し、ソ連の国境を開放。 以来2006年までの間にソ連ユダヤ人とその非ユダヤ人の配偶者、および帰還法で定義されたその親族約160万人が旧ソ連から移住。その61%にあたる約97万9千人がイスラエルに移住。 1990年、ソ連から181,759人がイスラエル移住。以後1993年までに578,000人のユダヤ人が外国へ移住したうち、イスラエル移住者はその80%(46,000人以上)。 1991年末、ソ連崩壊。 1993年、イスラエルとパレスチナの間で、オスロ合意(パレスチナ暫定自治協定)。イスラエルのラビン首相(中道派のイスラエル労働党)、PLOのアアファト議長、仲介:米国クリントン大統領仲介。 1995年、ラビン首相が過激なシオニストに殺害された。 2002年、第二次インティファーダ。 そして2022年現在、ロシア語を話す人は約130万人で、イスラエルの人口の15%に相当します。ただし、この数にはロシア以外のソ連やソ連後の国からの移民も含まれています。 ●ソ連のどこから移住したのか 2010年発表のデータでは、総人口における出身地の比率を多い順に並べるとこうなります。 ロシア・旧ソ連 20.9% モロッコ 15.2% ポーランド 8.2% イラク 7.7& ルーマニア 7.6% イスラエルに移住したソ連系ユダヤ人のうちの多くはアシュケナージ・ユダヤ人でしたが、山岳ユダヤ人、グルジア系ユダヤ人、ブハラ系ユダヤ人などのミズラヒ派もかなりの割合を占め、それぞれの民族が独自の文化をイスラエルに持ち込んだと指摘されています。 ユダヤ人としてのアイデンティティをより強く持っていたのは、バルト三国、モルドバ、グルジア、北カフカース、中央アジアの出身者が多く、「脱落者」は主にロシア中心部の同化ユダヤ人だったとのことです。 80年代には、アルジェリア、モロッコからもかなり来ています。モロッコ・ルーツのオメル・アヴィタルや若いオムリ・モル(ピアノ)の活躍を思い出します。 比較的最近アヴィシャ・コーエン(ベース)が起用したことのある若い有能なピアニスト、エルチン・シリノフ(Elchin Sirinov)はアゼルバイジャン出身です。エルチンは氷山の一角なのかな…と思ってしまいます。エリチンは面白いアルバムが出ていますが、Youtubeに上がっているコーエンとの共演も面白いです。「Arvoles」というアルバムに入っているエルチノフという曲の録音光景が見られます。 Avishai Cohen - "Elchinov" ('Arvoles' - 2019) https://www.youtube.com/watch?v=wu-1FK8lh8U ●ソ連/ロシア系移民の影響力 イスラエルの帰還法では、少なくとも1人のユダヤ人の祖父母を持つ者であれば、誰でもイスラエル国民になる資格があります。帰還法により、ユダヤ人の非ユダヤ人配偶者がイスラエル国籍を取得することも認められているため、結婚によってのみユダヤ人となるロシア系イスラエル人もいます。 イスラエルにいるロシア人のほとんどは、イスラエルの完全な市民権を持ち、国の経済と社会にあらゆるレベルで関与していると指摘されています。イスラエル政府の公職に就いているロシア系ユダヤ人が多いことから、ロシア系ユダヤ人はイスラエル政治において非常に優位に立っています。多くのロシア系ユダヤ人はロシアとの関係を維持し、ロシアとイスラエルの関係で重要な役割を担っているようです。 ●政治力:ソ連移民と政党・政治主張を駆け足で 1990年代に大量流入した旧ソ連からの移民、宗教的ユダヤ人の人口増加はイスラエルの政治文化を大きく変え、多党化、右傾化の原因となっているといわれています。 左派(ラビン、バラック等:労働党系)はパレスチナとの和平に意欲的、右派(ネタニヤフ:リクード)は懐疑的。極右、超極右、中道の政党もあります。 2010年の調査では、人口の21%が旧ソ連からの移民。多くは地方の外縁部に開発都市に住み、レバノンやガザからのロケット攻撃にさらされています。労働市場で競合しがちなアラブ系国民への反発も強い。ベンヤミン・ネタニヤフがリーダーの政党「リクード」(政治主張:保守自由主義中道右派ポピュリズム)はそうした旧ソ連移民の心理に訴えて党勢を拡大したといわれています。 超極右政党「イスラエル我が家」にロシア系ユダヤ人が多く所属していますが現在議席なし。 [歴代首相の出身地] 初代 ダヴィド・ベン=グリオン:ポーランド 2 モシェ・シャレット:ウクライナのヘルソン 3 ベン=グリオン 2回目 4 レヴィ・エシュコル:ウクライナのキーウ 臨時 イーガル・アロン:イギリス委任統治領パレスチナ 5 ゴルダ・メイア:ウクライナのキーウ 6 イツハク・ラビン 1974-77:イギリス委任統治領パレスチナ生まれ。 7 メナヘム・ベギン 1977-83:ロシア領ブリスク(現ベラルーシ領ブレスト) 8 イツハク・シャミル 1983-84:ロシア帝国ルジャナ (後ポーランド領、ソビエト連邦領を経て、現在はベラルーシ領) 9 シモン・ペレス:ポーランドのヴィシェニェフ(現在ベラルーシの一部) 10 イツハク・シャミル 2回目 1986-92 11 イツハク・ラビン 2回目 1992-95 12 シモン・ペレス 2回目 13 ベンヤミン・ネタニヤフ 1996-99:イスラエル生れ:父親ベン=シオンは1910年 旧ロシア帝国ポーランド領ワルシャワ生まれ、姓ミリコウスキー。 14 エフード・バラック:父方の祖父母フリーダとルーベンブロッグは1912年にロシア 帝国統治下のリトアニア北部で殺害され父親は2歳で孤児となった。 15 アリエル・シャロン 2001-03:英パレスチナ委任統治領:ウクライナ系移民の長男 16 エフード・オルメルト:ウクライナとロシアでの迫害から逃れた両親から生まれた 17 ベンヤミン・ネタニヤフ 2回目 2009-20 18 ナフタリ・ベネット 19 ヤイル・ラピド 20 ベンヤミン・ネタニヤフ 3回目 2022- ●旧ソ連/ロシアから移住したジャズ・ミュージシャン名鑑 ジャズの話にもどります。 ソ連、ロシアからの移民について少し紹介しましたが、もっとたくさんジャズ・ミュージシャンを挙げろと大仕事になるかもしれません。 先ほど総会した「Jazz Jews」という本では、下記の名前が出てきますが、もっともっといるはずです。(赤字にした人はある程度著名です)。 【サックス奏者】 Roman Kunsman(The Platina後に米国),Boris Gammer(アツモンの師匠) 他にも、Edouard Bronson (multi-instruments, 現在オーストラリア), Yaacov Mayman(現在米国https://www.allaboutjazz.com/musicians/yaacov-mayman),Robert Anchipolovsky。 【ピアノ奏者】 Vyacheslav Ganelin,Mikhail Agre,Leonid Ptashko,Ruslan Sirota、他に,Gdlay Levin,Yakov Eisenberg,Ilia Perelstein 【ベース奏者】 Lev Zabeginsky(The Platina)、他に,Viktor Fonarov (Ganelin Trio),Eddy Khaimovich(現在米国NY https://aicf.org/artist/eddy-khaimovich/),Danny Zuckerman, 【ドラム奏者】 Mika Markovich (Ganelin Trio in Israel), Arkady Gotesman, Gidon Peysahov 【キーボード奏者】Lev Yesilavetski 【トランペット奏者】Avraham Felder(70年代初期) 【トロンボーン奏者】Vitaly Austrin 【ヴァイオリン奏者】Reuven Ben Hanan 【歌手】Teymur Mirzaev(Azer-Gaya) 赤字で示した人たちを紹介します。 (以下、Part 2として近日掲載予定) ![]() 【ご参加(お申し込み)方法】 できるだけ多くの方々のご参加を希望しますが、画面や進行の手間の都合、先着30名様をご招待させていただきます。 その後、ご参加URL等の情報を送らせていただきます。勝手を申しまして誠に恐縮です。 お申し込みは、参加ご希望の旨を添えて下記メールへお申し込みください。 torojazz2018 のあとに @gmail.com を付けてご送信ください #
by jazzbratblog
| 2023-09-17 22:36
| ソ連ジャズ史関連
旧ソ連諸国(ロシアだけでなく)の音楽、アート、カルチャー等々に関心のある方々のためのオープンな研究会 [ポスト・クリョーヒン・スタディーズ on ZOOM のお知らせ] (新潟大学の鈴木正美氏と当サイトの制作管理者の岡島が運営しています) 【開催日時】9月23日です(9月13日は誤りでした。すみません!) ![]() 【開催日時】訂正! 2023年9月23日(土曜日)午後3時〜5時30分頃まで(予定) 【ご参加(お申し込み)方法】 できるだけ多くの方々のご参加を希望しますが、画面や進行の手間の都合、先着30名様をご招待させていただきます。 その後、ご参加URL等の情報を送らせていただきます。勝手を申しまして誠に恐縮です。 お申し込みは、参加ご希望の旨を添えて下記メールへお申し込みください。 torojazz2018 のあとに @gmail.com を付けてご送信ください 【プログラム】 ①第52回メールス・フェスティヴァル報告/横井一江さん メールス・フェスティヴァルは例年、世界の注目すべきジャズ系アーティストが多数出演するドイツの著名なフェスティヴァル。今年度も豪華なプログラムで開催された。その中に、リトアニアのピャトラス・ヴィシニャウスカス(saxes)を含むガネーリン・トリオ・プライオリティ、ロシアのアレクセイ・クルグロフ(saxes)とカリーナ・コジェーヴニコワ(vocal) も含まれていた。難しい国際情勢の中でよくぞ実現したものだ。 内外の事情に精通するジャズ・ジャーナリスト/クリティックの横井さんが背景・演奏をリポート!(約1時間予定) ②『我が記憶の波に乗って』(メロディヤ)考/鈴木正美 1976年にソ連で発表されたダヴィット・トゥマーノフ(作曲家:1940年生れ)のLP『我が記憶の波に乗って(По волне моей памяти / On the wave of my memory)』(メロディヤ)は、当時としては画期的なコンセプト・アルバムであり、今現在も評価が高い。 全収録曲の歌詞を全訳し、各曲について詳しく紹介。(約40分予定) ③話題のライヴ動画から クルグリー・バンド(リーダー:クルグロフ saxes)とティム・ドロフェーエフ(guitar)のカルテットがマルチメディア/シアター的ステージを打った! ④新譜ディスク紹介/岡島豊樹 旧ソ連圏や東欧のアーティストの話題盤をピックアップ。Fancymusic、Leo Records、Rainy Days、他。 ⑤さまざまな情報・動向(music, art, book....) 皆様からの耳寄り情報を楽しみにしております。 #
by jazzbratblog
| 2023-09-01 21:46
| イベント告知
[ポスト・クリョーヒン・スタディーズ on ZOOM のお知らせ] 公開研究会「ポスト・クリョーヒン・スタディーズ」の次期開催(zoomミーティング形式)の予定・内容をお伝えします。 これは、旧ソ連諸国(ロシアだけでなく)の音楽、アート、カルチャー等々に関心のある方々のためのオープンな研究会です。 新潟大学の鈴木正美氏と当サイトの制作管理者の岡島が運営しています。 ![]() 【開催日時】 2023年3月18日(土曜日)午後4時〜6時予定 【ご参加(お申し込み)方法】 できるだけ多くの方々のご参加を希望しますが、画面や進行の手間の都合、先着30名様をご招待させていただきます。 その後、ご参加URL等の情報を送らせていただきます。勝手を申しまして誠に恐縮です。 お申し込みは、参加ご希望の旨を添えて下記メールへお申し込みください。 torojazz2018 のあとに @gmail.com を付けてご送信ください 【プログラム】 I.伝記映画『ウラジーミル・レジツキー ジャズ大天使』 完成記念!!!!!!! 見所紹介 昨年12月に第6回 北極映画祭(アルハンゲリスク)で初公開されたレジツキーについてのドキュメンタリー映画です。鈴木正美さんに見どころをご案内いただきます。レオ・フェイギン、セルゲイ・レートフ、イーゴリ・ガヴリーロフ、さらに鈴木正美さんも出演しています。 Ⅱ.サーシャのモスクワ・レポート -街, ライヴ,カルチャー- 最近, ロラン・バルト作『表徴の帝国』のロシア語訳を出版したアレクサンドル(サーシャ)・ベリャーエフさんにお話いただきます。サーシャさんはかつて東京大学に留学し、現在モスクワの大学で教鞭をとっています。 III.イスラエル・ジャズ界とソ連/ロシアの関係 最近, 『地中海ジャズの歴史と音盤浴案内』(カンパニー社)という本を発表した岡島によるショート・レポート。なかなか長い関係が両国のジャズ界にはあります。 IV.スペシャル・サプライズ セルゲイ・ クリョーヒン著『無言の証人』の翻訳がだいぶ進んだ鈴木正美さんから嬉しいスペシャルなプレゼントがありそうです。 V.さまざまな情報・動向(music, art, book….):いつものようにいろいろと 「週刊エコノミスト」誌によるロシア音楽(ジャズ, ポップス, クラシック)特集記事は実に驚きでした。もうお読みですか? 皆様からの耳寄り情報を楽しみにしております。 ◾︎なお、今回の順番や内容、開始時間等は当日の事情により変更される可能性もあることを御了承ください。 #
by jazzbratblog
| 2023-03-01 19:12
| イベント告知
[出版案内] 「地中海ジャズの歴史と音盤浴案内」 岡島豊樹 著 発行:カンパニー社 http://companysha.com/medjazz 判型:小B6判(17.4 x 11.2 x 2.6 cm)
頁数:416ページ(うち、カラー口絵32ページ) 定価:本体3,000円+税 【内容】 旧ソ連のジャズ、社会主義時代の東欧のジャズを巡った後、南下した後、吸い寄せられるようにして、地中海に辿り着きました。どこかで繋がっているのです。 地中海は、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸に囲まれ、西はジブラルタル海峡で大西洋と接し、東はダーダネルス海峡とボスポラス海峡を挟んでマルマラ海と黒海に繋がる——文化のるつぼです。人の移動とともに楽器やメロディが海を渡って混ざり合い、音楽は国境を越えて伝搬していきました。スペイン、ポルトガル、南フランス、イタリア、ギリシャ、アルジェリア、モロッコ、チュニジア、エジプト、トルコ、イスラエル、パレスチナ、レバノン、シリア。地中海に燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて育まれたハイブリッドなジャズの歴史とともに、現在までに作られた豊富な音盤の中から約600枚を選りすぐり、ご案内します。 【販売:オンライン】 p.minor ( http://p-minor.com/?pid=172529189 にてご覧ください) 【販売:実店舗】 (http://companysha.com/medjazz にてご覧ください) #
by jazzbratblog
| 2023-03-01 18:45
| Book / 本
新刊書『東欧ジャズ・レコード旅のしおり』 著 者:岡島豊樹 出版社 : カンパニー社 発売日:2021年9月7日 判 型:小B6判並製 頁 数:288頁(うち、カラー口絵32頁) 定 価:2,200円(本体2,000円+税) ISBN :978-4-910065-06-9 取 扱:カンパニー社( http://companysha.com )他多数 ●総合オリエンテーション —ジャズ・レコードの発売元について —ジャズ史ガイド(概要) ●ポーランド POLAND —ジャズ史ガイド 1920〜30年代/「カタコンベ」時代/ウッチ映画大学のジャム・セッション/1956年:第1回ソポト・ジャズ祭/ポランスキの短編映画とコメダ/50年代後期〜60年のジャズ界の大きな出来事/ 1960年代のキー・パースン/ロック浸透時代のジャズ・スター/「連帯」誕生と戒厳令の時代/円卓会議〜体制転換期のジャズ動向 —ディスコグラフィ(国営Muza盤、Poljazz盤他のLP) ●チェコスロヴァキア CZECHOSLOVAKIA —ジャズ史ガイド ダダ&シュルレアリスム・ミーツ・ジャズ/ナチス・ドイツ支配下のジャズ/モダン・ジャズ興隆/スプラフォンのジャズ盤発売姿勢/SHQ小史/ジャズ祭の定着と拡張/ジュニア・トリオ(ハンメル・Jr.とヴィトウシュ兄弟)/短い「プラハの春」とその後の「正常化」の中で/音楽家ユニオン内「ジャズ・セクション」の活動/“アルケミスト”、イジー・スチヴィーン/ビッグバンドの活性化/モラヴィア民謡とヴィクリツキー/ジャズ・ロック時代/フリージャズや前衛ジャズは限局的だった?!/ジャズ・セクション裁判 —ディスコグラフィ(国営Supraphon盤、Panton盤他のLP) ●ハンガリー HUNGARY —ジャズ史ガイド 戦間期のジャズ・ブーム/1956年ハンガリー革命の影響/1960年代のジャズ復興/国営クォリトンがモダン・ジャズ盤に着手/60年代精鋭展《モダン・ジャズ(Ⅳ-Ⅴ):アンソロジー64》/ゴンダ・ヤーノシュの教育面での貢献/“ハンガリー・フリージャズの父”、サバドシュ・ジョルジ/“ベースのパガニーニ”、ペゲ・アラダール/ローカル・ジャズ祭、ジャズ・クラブの貢献/1980年代に前衛ジャズが支持された背景/国外での活躍/ジプシー系ジャズ・ミュージシャンの苦悩と覚醒 —ディスコグラフィ(国営Qualiton盤、Hungaroton盤、Krem盤他のLP) ●ユーゴスラヴィア YUGOSLAVIA —ジャズ史ガイド ソ連と対立〜非同盟の時代のジャズ・シーン/アフター1956/ユーゴのジャズ盤事始め/《ミーティング・イン・スタジオ》シリーズの背景/連邦規模のジャズ祭の定着/放送局(RTV)付きビッグバンドがジャズ・シーンの醸成を担う/ザグレブ・ジャズ・カルテット(ZJQ)の西側進出/ゴイコヴィチの凱旋/ユーゴ・オールスター・ビッグバンドが意味するもの/80年代ユーゴ・ジャズ・シーンの新傾向/カリスマ指導者無き時代のバランス維持/ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ/自治州:ヴォイヴォディナ、コソヴォ —ディスコグラフィ(国営Jugoton盤、PGP RTB盤他のLP) ●ルーマニア ROMANIA —ジャズ史ガイド チャウシェスク以前/チャウシェスク浮上期はジャズ興隆期だった/ 10インチ盤ジャズ・シリーズ「Seria Jazz」開始/ヤンツィ・コロシーのアイデンティティ/マイノリティのルーマニア化/キケロとオシャニツキーの若き日:60年代初期/オシャニツキーの全方位型の大活躍/ジャズ・クラブ(文化活動)からジャズ祭への展開/エリントンが認めた歌手アウラ/「プラハの春」潰しにチャウシェスクは強く抗議した/ 「ミニ文化大革命」期以降 —ディスコグラフィ(国営Electrecord盤LP) ●ブルガリア BULGARIA —ジャズ史ガイド ミルチョ・レヴィエフの台頭/ 〈アンチ・ワルツ〉放送禁止事件/バルカントンのジャズ盤発売初期/「ジャズ・フォーカス65」の名の由来/ドン・エリスの誘い/ヴェッセリン・ニコロフ「白緑赤」の戦略/JF65的編成で新趣向を打ち出したシメオン・シェレフ/ウェディング・バンドとフォーク・ジャズ/ジャズ全面的開花期80年代群像 —ディスコグラフィ(国営Balkanton盤LP) ●索引 ●ポイント:『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』(カンパニー社:2021年4月発行 http://companysha.com )=下写真=に続く、社会主義時代(Under State Socialism)のジャズ・ガイドブックです。ディスコグラフィでは、社会主義時代に発売されたLP盤をデータとレビュー付きで掲載しています。巻頭32ページ分をジャケのカラー写真に充てています #
by jazzbratblog
| 2021-10-02 09:34
| Book / 本
|
ファン申請 |
||